サンソン・フランソワをめぐる思い出

サンソン・フランソワをめぐる思い出

Samson François, (1924年5月18日~ 1970年10月22日)は、第二次世界大戦後のフランス人の代表的なピアニスト。生まれ育ったのはドイツ。

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↑学生時代に買ったサンソン・フランソワのLPと最近手に入れた同じ演奏のCD

 1969年から始まる古いお話です。
 
 私が高校1年生の6月ころだったろうか。入学してから知り合った同級生に誘われて放課後に彼の家に遊びに行った。仲良くなったきっかけは同じクラスで席が前後に並んでいたので話す機会が多かったからだが、そのうちに同じサークルに出入りするようになる位気が合うようになったのだ。

 二人で自転車を並べて3㎞ほどの道のりを走って行った。到着して彼の家を見ると我が家よりはるかに広い大金持ちの家だった。
 彼の部屋は2階の8畳ほどの洋室だった。2階に行く階段の途中の壁にはシャガ-ルのリトグラフが飾ってあった。
 部屋の中にはセミダブルのベッドと勉強机が置いてあった。私がベッドを実際に使っている人間と出会ったのはこれが初めてであった。それまで私はベッドとは映画やテレビドラマに出てくる金持ちが使うものであるとしか捉えていなかった。私は現実にベッドを実生活で使う金持ちと初めて知り合ったのだ。
 そして、彼の部屋には彼専用のステレオが置いてあった。レコードプレーヤーはティアック製、アンプとチューナーが一体になったレシーバーはパイオニア製、スピーカーは1平方メートルほどの厚い板の真ん中に丸い穴を開けて、そこに口径16㎝のダイヤトーンのフルレンジユニットを取り付けた平面バッフル方式と呼ばれるものが部屋のコーナー2か所に置いてあった。それは私が初めて見た本物の「コンポーネント・ステレオ」だった。

 私の家にもレコードを聴く道具はあった。兄が壊れたラジオをあちこちから貰ってきて、一度ばらして、使える部品を使って自作した真空管ラジオをアンプとして使い、直径16㎝程のターンテーブルのついたプレーヤーをつないで、自作の箱に入れた16㎝のパイオニアスピーカーを鳴らしていた。
 プレーヤーもスピーカーも貰い物だった。そして音はモノラルだった。それぞれの機器が独立していたからコンポーネントと言えなくもないが・・・。

 もう少し詳しく書いておくと、我が家のプレーヤーは内部にあるモーターの回転軸を周囲にゴムの付いた円盤に接触させて回転を伝え、更にその円盤をターンテーブルの内側に接触させて回転させるリムドライブ方式という安価なもの。
 レコードから音を取り出すピックアップアームという部品はプラスチック製の黒い箸箱をやや湾曲させたような形だった。そして、その先についているカートリッジは針圧の大きい圧電型(セラミックカートリッジ)。使う時には指をつまみに引っ掛けて持ち上げ、そっとレコードに下ろすという丁寧な作業が必要だった。プレーヤーとしては安価なものだった。
 また我が家のスピーカーは年の離れた社会人の従兄が使わなくなったというのをもらい受けたもの。
 従兄は既に自分で稼いでいる成人だったので気前よくパイオニアのPIM-16Aという口径16㎝のダブルコーン方式のスピーカーが入っているエンクロージャーをくれた。リンゴ箱(当時はリンゴ箱は木製だった)を改造したような見てくれの悪いエンクロージャーだったが中身のスピーカーはマニアックだった。(貰ってしばらくしてから中身を口径20㎝のスピーカーに交換した記憶がある)
 
 さて、友人の部屋にあったステレオの話の続きをしよう。
 レシーバーの電源を入れると受信周波数を表す目盛りが青く輝いた。プレーヤーのターンテーブルは直径30㎝あり、回転数を押しボタンで切り替える方式だった。モーターの回転をゴムベルトでターンテーブルに伝えるベルトドライブ方式だったと思うが、あるいはその頃出回り始めていたダイレクトドライブ方式だったかもしれない。記憶は定かでない。
 アームを上下させるときはアームに触れずに専用のレバーを動かすようになっていた。 
 後で知ったのだが、ティアックという会社はテープデッキ製作を得意分野としており、当時はレコードプレーヤの一般向けのものは作っていなかった。高級品だけを作っていたのだ。 
 友人は予算の大部分をプレーヤーに使っていた。音の入り口が良くなかったらアンプとスピーカーをいくら立派なものにしても意味がないとオーディオショップの人に言われたので、プレーヤーを高級なティアック製のものにして、アンプ、スピーカーはとりあえずの間に合わせで揃え、後からグレードアップしていく予定だと言っていた。
 もっとも間に合わせのスピーカーといってもこのダイヤトーンの16㎝フルレンジスピーカーP-610Bは自然な音を出す名品と当時は言われていた。
 
 こうして私は今まで自分の家にあったレコード再生装置とは次元を異にするマニアックなオーディオシステムの存在を知ったのだった。だが、それは私にとっては手の届かない高嶺の花だった。別に友人を羨ましいとは思わなかった。自分の家は両親が働いていても貧乏で、高校に通わせてもらっているだけでも贅沢というべきだった。
 実際に私がオーディオシステムを手に入れたのは大学に入ってからだ。1972年か3年の夏休みにアルバイトをして稼いだお金で最初にトリオのレシーバーとレコードプレーヤーを買った。なぜトリオを選んだかというと大学の生協に展示してあって自由に触ることができてなじみができた上にオーディオの専門雑誌で調べてみると評価が悪くなかったからだ。
 その時は金が足りなくてスピーカーは買えなかった。とりあえず前からあった貰い物のスピーカーを左チャンネルにつなぎ、右には家で使っていた古い家具調三菱白黒テレビを置いた。そのテレビのスピーカーが16㎝ウーハーに5㎝ツイータが付いたダイヤトーン製だったので、レシーバーの音声出力ケーブルの右チャンネルをテレビのスピーカーにつないで使うことにした。
 なんとか変則ながらオーディオっぽいシステムを手に入れて一番初めに買ったレコードは梶芽衣子の「恨み節」のドーナツ版だった。
 1960年の反安保運動の締めくくりの歌が西田佐知子の「アカシアの雨が止む時」なら1970年の運動の締めくくりは藤圭子の「圭子の夢は夜開く」なのだが、私は恨み節を買った。酒に酔うとこの歌を歌い出す女性の先輩がいたので私もこの歌を知り、買ってみたのだ。
 その先輩は「馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な女の 恨み~節」
と酒に酔ってはしみじみと歌うのだった。彼女にそのころ一体何があったのだろう?

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↑梶芽衣子の「恨み節」昭和の平手友梨奈的な雰囲気・・

 次に買ったのはクラッシックのワルター指揮ウィーンフィル演奏の「運命」と「未完成」が裏表に入ったレコードだった。買った理由は私も知ってる有名な曲だったからだ。

 小学生のころテレビで「ディズニーランド」というシリーズ番組があった。そこでベートーベンの生涯が取り上げられた作品を見て「運命」とか「月光」の名を覚えたのだ。
 今は便利な時代でネットでちょっと調べたら、その番組は1964年に放送されたことが分かった。私は1964年にいつかはレコードを買って思う存分ベートーベンを聞こうと思い、約10年たって思いを叶えて彼の交響曲を全部手に入れた。お金がかかる夢は自分で叶えるしかなかった環境だった。

 当時クラシックのレコードに1000円程度で買えるシリーズ物があり、貧乏な私は2~3000円するポピュラーや流行歌のレコードはなかなか買えないのでレコード店に入ると自然にクラッシックコーナーに足が向いていた。懐が寂しくても大学を卒業するまでにベートーベンの交響曲を全部そろえようと決心した健気な私だった。
 今ならクラッシックCDは古い録音で構わなければ2~300円で手に入る。隔世の感がある。

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↑学生時代に買ったLPの一部

こうしてクラッシックレコードを買うようになった私が次に買ったのがサンソン・フランソワ演奏のベートーベン作曲ピアノソナタ「悲愴」「月光」「熱情」の3曲が入ったLPだった。
 やっとサンソン・フランソワの名がでてきた。
 もっとも、私はサンソン・フランソワの演奏を選んだわけではない。1000円シリーズの中の「月光」が入っているレコードを探して買ったら彼の演奏だったということでしかない。そして、その時の私は「悲愴」と「熱情」はまだよく知らなかった。

フォステクス10㎝フルレンジスピーカー FE-103 
 左右で違うスピーカーという間に合わせ状態で音楽を聞いていた私だが、当然なことに左右とも同じスピーカーを使いたいという夢を実現したいとずっと思っていた。しかし、金がなかった。オーディオ店でいろいろなスピーカーを聴き比べて音の良さは値段に比例することを知ってしまったのであまり安いものを買う気にはならなかった。値段の高いスピーカーは手が出せないが、せめて入門用よりは上のクラスが欲しかった。金がないのにそんな考えでいたからなかなか手に入れられなかった。
 そんな時にFM雑誌でオーディオ評論家の長岡鉄男氏の設計した小型スピーカーエンクロージャーの記事を見つけた。直径10㎝のフォステクスのスピーカーユニットFE-103 用の本棚に入る大きさのエンクロージャーだった。
 エンクロージャーenclosureとは囲い込むもの、筐体という意味だ。ここではスピーカーを取り囲む入れ物のことで、日本ではスピーカーボックスとも呼ばれるものである。

ここでなぜか資本論
 歴史に詳しい人はエンクロージャーと聞いて土地の囲い込みを思い出すだろう。15世紀末期から16世紀初期、毛織物産業が盛んになったイギリスでそれまでは所有権があいまいだった農地(共有地)を囲って所有権をはっきりさせ、羊の放牧をするようになったのだが、貧しい農民は共有地を使うことができなくなり、プロレタリアとなって都会へ流れて行ったとマルクスは書いている。(ただし、これには諸説あってマルクスの言うほどひどくはなかったという説もある)
 土地を石垣や柵で囲うからエンクロージャー。だからスピーカーを箱で囲ってもエンクロージャーなのだという知ったかぶりの蛇足はこれでおしまい。

フォステクス10㎝フルレンジスピーカー FE-103 続き
   
 長岡鉄男氏の設計図で小さなバスレフ型エンクロージャーを作る話にもどる。
 左右に同じスピーカーを置いて音楽を聴きたい私は家の駐車場に転がっていた杉の板切れを材料にエンクロージャーを作ることにした。この杉の板は多分父親が物置を手作りした時の余り物だったと思う。
 のこぎりで寸法通りに切り、糸鋸でスピーカーを取り付ける穴を切り抜いた。乏しい小遣いで2000円ほどしたFE-103 を1つ買ってきて取り付け、音を出してみると間に合わせの薄い杉板のせいか箱鳴りがあったがそれなりの音が出たので私は喜んだ。
 同じ箱をもう一つ作り、見かけをよくするために正面と裏を黒い艶消し塗料で塗り、上下左右はホームセンターで木目のビニールシートを買ってきてぐるりと張った。下手なりに美しい箱ができた。
 しかし、私は資金難でFE-103 をもう一つすぐに買うことができなかった。しかも数か月後にバイトで金を作って買いに行ったら何ということか値上がりしていた。前の値段きっちりの金額しか用意できていなかったのでその日はそのまま帰ってきた。
 2台のFE-103 がそろったのは計画立案から半年以上経っていた。出来上がると私は部屋の作り付けの書棚に置き、箱鳴りを減らすために本で回りを囲んで抑え込むようにした。そして音を出してみた。10㎝にしては低音が出てるかなあ、値段を考えればまあいいんじゃないかなという感想だった。数千円で作った物を何万もするスピーカーシステムと比べるのは無理なことは当然だった。本当は低音も高音も物足りないけど中音部の音質は良かった。サブシステムとしては十分だった。・・・そもそも、私はまだメインシステムを持っていなかったのだが。 

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↑このときの自作のスピーカーセットはまだ健在です

FM雑誌の話
1970年代にはFM雑誌というものがあった。これにはFM放送の番組表が載っているのだが、単に番組名だけではなくて放送される曲の名前、長さまですべて書いてあったのだ。これを買って何をするかというと放送される曲をせっせとテープに録音したのだ。放送局も途中で音楽を切ることをせずに曲が終わるまで放送してくれた。つまり金のない生徒・学生が新曲を安く手に入れる方法がFM放送の録音だった。
 録音の方法にもレベルがあって初級はラジオのスピーカーにマイクを向けて録音。これは時々家族の声が入ってしまう欠点があった。中級はラジカセを買って録音。これだと家族の声が入る心配はなくなった。高級はステレオのFMチューナーで受信した信号をアンプにテープデッキという機器をつないで高音質で録音するという方法だった。
 私もテープデッキを買って録音がしたかったが、それができるようになるためにはデッキの代金を自分の労働で稼ぐしかなかったので、手に入れたのは長期休暇に労働に励んだ数年後のことであった。

やっとメーカー品のスピーカーを買った話
 バイトでお金を稼ぎ、少しづつコンポーネント・ステレオ・システムを揃えていった私だったが、卒業間近になってやっとメインスピーカーを手に入れた。
 最初はダイヤ―トーンの名機と言われたDS-251mkⅡが欲しかったがビクターのSX-3の独特なデザインにも心が動いた。しかも、SX-3は当時としては画期的なソフトドームツイーター(高音専用スピーカ)を搭載した繊細な音を出すと評価されていたスピーカーだったのだ。
 しかし、お金のない私は結局、SX-3より少し安いビクターのJS-8を購入した。同じビクターでもSX-3とは音作りが全く違っていて、からっとした明るい音を出すスピーカーだった。理想とは違っていたがこれはこれなりに楽しめるスピーカだった。
 その後、プリメインアンプもスピーカーに合わせてビクターの製品を買い、就職して職場の先輩からソニーのダイレクトドライブのプレーヤーを中古で譲ってもらい、それにシュアーのカートリッジを付けて私のコンポーネントシステムが一応完成した。そのうちにCDの時代になったのでヤマハのCDプレーヤーを購入した。
 この後はこのシステムを長く使った。
 JS-8を買ってから5年くらい経って、片方のツイーターが断線したので自分で交換した。もう片方も10年くらいで断線した。たまたまその頃兄からお古のDS-251mkⅡをもらったので新しいスピーカーを買わないで済んだ。私はやっと学生時代に欲しいと思ったダイヤトーンスピーカーを10年後くらい経ってから使えるようになったのであった。
 ここまでが20世紀の話
 
 21世紀の今はアンプがケンウッド、スピーカーは一時DENONのSC-E727を使っていたが現在はビクターのSX-500ドルチェ、CDプレーヤーはオンキョーに変わっている。もはや全部年代物だ。 

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↑ビクター SX-500 Dolce

 最初にサンソン・フランソワでベートーベンのピアノソナタの演奏を聞いたので、その後の私の「悲愴」を聴く時の基準はこの演奏になった。(と偉そうに書いているけど、実は私は自分で演奏ができるわけでもない素人)そのレコードはまだ手元にあるが、最近同じ演奏がCDになっているのを探し当ててわざわざ購入した。そのくらい耳になじんでしまった。
 ベートーベンのレコードでサンソン・フランソワを知ったのだが彼は本当はショパン弾きだとうかつにも最近まで知らなかった。早速彼がショパンを演奏したCDを手に入れて聴いている。
 サンソンフランソワのレコードを初めて手に入れてから50年にわたるステレオの思い出の話はこれでおしまい。

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↑サンソン・フランソワの演奏したショパンとラベルのCD

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↑1000円シリーズも少しずつ値上がりして1300円に

蛇足
 話が変わるが、私の子供時代、我が家に一番最初に買われてやってきたクラシックレコードはガブリエル・タッキーノが演奏したモーツァルトのK.331トルコ行進曲付きだと記憶している。
 中学校の修学旅行で東京に行った兄はおいしい食べ物の土産を期待して待っていた家族の期待を裏切り、この17㎝EP版だけを土産に帰ってきたのだった。レコードを買ったらもう金がなかったと本人は言っていた。
 このレコードを繰り返し聞いたのでその後はK331を聞く時の私の基準がこの演奏になってしまった。その頃は若手だったタッキーノは大変歯切れ良い演奏をしていたので、その後ホロビッツの演奏を聞いたときには同じ曲でもこんなに違うものになるのかと思った記憶がある。

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